2010年5月26日水曜日

開かれなかったメール

Subject: New
Date: Mon, 22 Sep 2008 16:40:23 -0700
 
I want to start new life to marry with you. I want to have a baby from you.I want to stay in this house. 
 
 
平成22年2月22日、
その結婚式と名前した日の17ヶ月前

ロスGはこんなメールを私に打っていた

私が開いたのはロスGが亡くなってからのことだった


沢山やってくる同じ内容のメール
タイトルも同じで開かなかったものがたくさんあった

そこにまぎれてあったこの一通。


文章に込められている見えない何かが
本気を物語っているように思えた


返事がこないことを
ロスGはどう思っていたのだろう

85歳を過ぎて、このようなメッセージを送れることが
英雄のように感じ始めた

ただ、、、、すべては、、、too late.


もし、たったいま、このメールが届いていたのなら、
私は明日、ロス行きの飛行機に乗るだろう



 
 

開かれなかったメール その2

Date: Tue, 3 Jun 2008 10:59:35 -0700
 
Dismiss
 
 
If you stay in U. S. A., You have to deposit to?the Los Angeles County Court. If you stay in Japan, You do not have to deposit to the Los AgelesCount Court.
 

その昔、ロッキード事件で知った
ロサンゼルスという名前

あのロスの裁判所に私はひとりで立ち
私は勝った

あの言葉の壁を乗り越えた真実の強みを味わったこと
人生のお守りです

そんな機会を与えてくれたロスGに感謝です


生前あなたが言われていて、
一度もあいづちを打ってあげなかった言葉

私はあなたのアメリカのお父さんです。

いまなら、そうです

尊敬する父です
と答えるでしょう


聞こえてますか? 



2007 11 12

Date: Mon, 12 Nov 2007 15:18:14 +0000

私は少しずつ日本に帰国するためのパッキングをしはじめました
その中で、つい手を止めてしまったもの
セドナの写真集。。。が出てきました。
赤い石から発しているのでしょう。
荘厳なるあの空気感。
初めて体感した、全身への あの強力な「気」。

今回のアメリカでは本当に 本当にいろんなことがありました。

その中でも
今回の交通事故は大きな出来事でした
あなたにとっても大変なできごとであったとおもいます。
けれど、私はこの出来事のおかげで 多くを学ばせていただきました
いままで気づくことができなかった
人生を歩む上で大事な大事な心を 知ることができたのです
深く感謝もうしあげます。
ありがとうございました。

ps・・・昨晩からのロスは久しぶりに霧が立ちこめ綺麗でした。

freeway での事故について


Date: Wed, 2 Apr 2008 16:17:31 +0000

灼熱の太陽が照りつける8月18日昼12時半


日本時間は8月19日

あの一瞬の追突事故が こんなにもカラフルに状況変化を起こし、

大きなお金を出費することに

なるとは思いもしませんでした

あのときは、頭部などをブツケタ衝撃で

痛みとの戦い  いつかこの頭痛がとれるのか、、、

いつになったら普通に生活できるのか、とても心配でした

散々、悲惨な テリブルなドクターに出会い

心はいつもおびえて宙に浮いた心地でした

娘の強い協力があったから

なんとか切り抜けてこれました

このときまで、娘がこれほど頼りになる存在であると知りませんでした

そんなある日、出会った新聞の一面記事。

自分にとって最良なドクターに出会ったのです。

彼のアジャストメントは、ただ、薬をあたえればいい、という高額治療とちがって自然治癒力を引き出す役割ももっているのです

そうして、痛みも、体の緊張も、事故で受けたトラウマ

も次第に薄れてきて

人間の再生能力を実感した貴重な体験でした

今世、ひとは一度きりしか死にません

私は今回の交通事故のその日、

娘のパパの誕生日という日、

死んだ風に感じました

もう少しスピードがでていての事故であったら

この肉体はここにいなかったかもしれません

そうして事故から約一ヶ月あまりは

生きた心地のしない

ドクターから危険な状態であると脅される毎日。

入院した病院自身も、なにからなにまで

最低なホスピタリティでした

そうして、現在も私の首の様子をみてくれている

ドクターGからはじめてのアジャストメントを受けた

2007年9月11日

911といえば

この米国に衝撃的な出来事があった日付

私はこの日に、生まれ変わったのです

これまでの自分の生き方、考え方、を総入れ替えできる機会が

与えられたのです

やっとたどりつけたんだ・
感謝と
うれしさで涙があふれてきました

これでやっと 生きられる。。。

心に優しい風がなびき

体に新しい気がみなぎってきたのです

そうして思いました

人生、どんな最悪的なことがあったとしても

その中に、

人間を成長させる素がある。

なんでも学びなのだと。

そうして、すべてのことに感謝をしたくなりました

きっと最悪な状況を味わっていなかったら

感動の大きさも これほど大きくはならなかっただろう

こんなに感動した自分を味わえるのも

あの最悪のおかげだ。

本当にありがとう。と思えるようになったのです。

だから事故というプレゼントを神様がはからってくれた。

お金が出費してしまった

という表面的な損失より、

そこから学んだこと、それからはじまったこと、

未来への明るい架け橋として

その出来事が起こったのだと

改めて心の芯から感じます。

あとは、この体験をどう生かしていくか。

世の中の人のために動く材料として

上手に料理できるかどうか、

早くマウイに行って

執筆活動に専念したいとおもいます。

    2008年4月2日 ロサンゼルスのホテルにて。 さなえ


so

Oh, now i understand your fiance was a true love that has passed. I am so sorry to hear that he died. I love how you make a dream paradise with him and write in his dedication! I understand completely!
please be well my friend.
thinking of you,

2010年5月25日火曜日

お母さんとごはん

四年前の今日

母は人生最後の日を体感していた

私は母の足を温めた

昨日まであたたかかった足が

麻痺して冷たくなっている

祈りより強い思いが充満しながらマッサージ

私は母の足が永遠に温かくあることを願った

汚いものを踏まないように

母は私によく言っていた


足は宝だ


足が丈夫ならどこにでもいける


母の足をさすりながら


私の願いが変わっていった


母の行きたいところへ
行かせてあげよう


私のために
どれくらい道を変えてくれていたのか


母の足は
少しだけ温かくなってきた


疲れるからもういいよ


母はいつでも

まず相手のことを考える


自分が食べたくない日でも

食卓には体によい料理が並んでいた


いま

食欲がなくなり食べられなくなっている私の体


目を閉じると
母のごはんが浮かんでくる


それなら
それなら


食べられそうだよ


お母さん


今の私を

心配してくれているんだね

明日……母の命日

私も同じ日に死にたい

それか

お母さんのために何か作るから
一緒に
ごはん 食べてくれる?

2010年5月21日金曜日

double rainbow !!

 
 
孫と一緒にお絵かき
 
 
楽しそう
 
 
孫の真似してお絵かき
 
 
嬉しそう
 
 
 
母の描いた絵の方が
 
パワーを感じるなぁ
 
 
やっぱり かなり 楽しかったのでしょうね〜♪
 
 
心に虹を描くなら
 
やっぱりdoubleがいいなあ
 
 

2010年5月19日水曜日

もうその優しい声は聞こえない。。。


そうわかって電話してみた
幻を聞きたくて、、、。ごめんね、電話もっとしてあげたかった。


炎をみた瞬間の思い

いまごろだろう。。。火葬の瞬間。

何度かひとが火葬されるシーンを見た事があるが

全部、夢に見える。

そうして死体の気持ちになって考えてしまう。

怖いなぁ。。。焼かれるのって。

と思うのか

それとも、焼かれて温泉より気持ちいいって。

思うのか

それとも、

裸以上に 骨姿をひとに見られるのは 恥ずかしいなぁ。。。

と、思うのではないかと。私は思う。


本気で求めればなんでも手に入る


日本時間、午前4時30分

2時からふとんに入っていのに、、、眠れない、、、、

眠れない、、、、いろんな念が飛んでくる

ロスGもよく妄想から幻覚までをうったえてきた、、、

でもこの具合悪さはロスGからではない、ロスGはいつも愛があった

愛が基にある場合は、このような具合悪さを引き起こさない

思い当たる節は一件ある

1分刻みに誹謗暴言メールをよこしてくる

クレイジーヒステリーな九州人

幸いなことに彼女と会ったことがないのでその顔を想像することがない

仕事がらみの出会いだった

1時間ほど私と連絡が取れないだけで このような攻撃がはじまる

毎回だ

ヒドい内容に ヒドい回数

怖くてたまらない おまけに私の周りのひとたちも巻き込んでしまっている

私が築き上げてきた信頼関係にも新たな歴史が塗られ

どうして、、、そんなに  どうして、、、、そんなに被害妄想にばかり走るのか?!

不思議がりながら、昨夜、娘の携帯が2つとも電波がなく

心配で心配で 一分を待てない感じになった

いろんなところに電話をして アルバイト頼んで車で東京まで行こうかなぁ
などと本気で考えてしまったほどだった

そうして娘からスカイプがちょりん!と鳴った時、はたっと気づいた

九州女の気持ちが、、、わかった?


不思議に思うこと、、、知りたいこと、、、って

本気で思っていると、教えてもらえる


ロスGが死んだら、、、だれも知らせてくれないだろう。。。と
前から思っていた

その時、自分で知ろう、、、と心の奥で思ったのだ

だから、ふと、電話をしたら、4日間の滞在中の息子さんと話せたのだ

まだロスGの死体という肉体が世の中にあるうちに


思いエネルギーの強さをまた思い知ったひとこまだった





2010年5月18日火曜日

ファースト*エンジェル*ラブレター

ロスG

エンジェルになって初めてのラブレター?


昨日までドス黒青なアザだったのに
今日はほんわかハート色

右足お皿そば
よく見ると
ハートの中にお星様?


スター☆


そこに触れて撫でてみると

なんだかそこだけやたらにツルツルしてる


まるでだれかが
いっぱい撫でてくれたよう

そう言えば
ビンさんも

死んだ当時は

やたらに
ハートマーカーだったっけ

じゃーまんむーん。

シュッツツガルト?
に暮らしてみたいとずーーーとおもってる

きっとそこに映る月は
日本とちがう

きっと美味しそうなワイン色

きっとそこには酔えそうな
ぶどうの香りがするだろう


その時、案内してほしい

俺の庭だぜ

そんな風にね


異国でひとは強くなる

異国でひとは優しくなれる


ロスGへのコメント待ってるよん。


ぐるぐる グーグル

これまで1ミリもそんなことしたことないのに

ロスGの名前をネット検索してみたり

懐かしいお家のストリートマップみてみたり

それを父にも見せにいったり

新しい思い出を作っている感じ?

いずれにしても、、、なんなの、私!





泣ける,泣けない、泣ける、泣けない


本当に悲しい時は涙も出ないというのは事実です。

泣きたいけど、死を受け入れられないので泣けないのです。

その人が存在しないという現実こそが存在していないんだ、という非現実感がずっと続いている状態。

それが本当の意味での死のショックというものです。

泣けるのは死という現実を受け入れているからです。

心の傷は一生消えずに残る


泣けなかったのは、おばあちゃんの死。

愛犬サブの死。

ビンさんでものちに体が溶けるほど泣いた。

母の死。のちに魂ごと泣いた。

ロスGの死は最初はしとしと、それから狂うように泣いている。


いろんなひとからのお言葉集


死んじゃったら本当に悲しいし、後悔もするけど、泣く人がいるだけでも 
すごく死んだ本人にとっては幸せかもしれない。
Sさんがんばれー 



 『お父さんとの思い出と、うまく付き合っていきましょう』 


父親との思いでの中に、きっと生抜く上での
ヒントがあると思うよ。



一年半たったけど、いまだに思い出すと逆上しそう。
大事なものが引き裂かれた気がして鬱病になりました。



立ち直るというよりは 
「傷を抱えたまま生きるという人生を受け入れる」ということ 
なのだと思うようになりました。 


人は色々な悲しみや問題に遭遇し、それから学び、それを乗り越えた時、以前よりもより聡明で強い人間になり、人に対しても理解し、優しくなれるのです。


突然 目の前から消えてしまった。
其の喪失感!悲しいなんて言葉で現せるものじゃなかった。
痛いんです、心も身体も全部痛くて苦しくて、切り刻まれるような
思いでした

ameblo 行き

ネットでみつけたの。 【悲哀のプロセス】 STEP.1 否認 まず「そんなことあるはずない」という否認の感情が湧き起こります。 STEP.2 絶望 失ったことの悲しみに直面し、絶望感が訪れます。 STEP.3 脱愛着 亡くなった人への愛着から脱し、新たな関係に目を向けていきます。 誰にでも当てはまるの? わたしは、いきなりステップ2 思い出したら ステップ2 どうしたら泣かないで済むか 思い出さないようにしよう 思い出さないようにしよう でも ずっと思ってしまう 最近、too lateな後悔ばかりで、自分が嫌い。 ごめんね と ありがとう の 思いで 泣いて泣いて 狂いながら泣いて そっと いつか 自分を許してあげよう

大切なひととの死に別れ。。。悲哀のプロセス



【悲哀のプロセス】

STEP.1 否認
まず「そんなことあるはずない」という否認の感情が湧き起こる

STEP.2 絶望
失ったことの悲しみに直面し、絶望感が訪れる。

STEP.3 脱愛着
亡くなった人への愛着から脱し、新たな関係に目を向けていかれるようになる。

そう、ネットで拝見しました。
本当にみんなこの感じですか???

2010年5月17日月曜日

体にくる現象

あれは、、、実は、、、、嘘ですよ。

おやじは生きているんだ。

ロスGの息子とビンさんの息子に
一日でいいから言われたい
その一日だけ会えるとしたら、
そしたらどっちに行くかな、、、?

いまは、迷わず、ロスGだ

ビンさんとは楽しい時間を沢山すごした
波乱なことは周りで起きているだけで
私たちの世界は、安泰のパラダイスだった


けどロスGはそうではない

ずっと、、、一筋に持ち続けた希望の光を
ずっと、、、一人で耐えて耐えて耐えて

がんばったね。
ごめんね。って
髪の毛を撫でてあげたい。


きっとここから
私の本当の意味でのロスGとのおつきあいが始まるのかもしれない

生前と同じように

プラトニックな関係

おっ、

ここで、右の目がすごーーく沁みてきた
痛い。痛い。
きっとビンさんからのジェラシーかもしれない


許してね
ビンさん、だってまだ火葬されてないんだってよ

おっと左目も
めちゃ痛くなってきた

涙でぐっちゃりの目が沁みる、、、、、ぅ


ここらでこの文はやめます。


ふたりに会いません!
会いません!
会えませんから!


と、ここでおでこがちくちく痛くなってきた

そろそろお風呂に入らなくっちゃ

腕の神経も痛くなってきた
肩も腰も

お風呂にはいろう

裸になって また泣こう




快挙☆

私には伝わってきたその小さなメッセージに込められた大きな希望。

いまは、ビンさんと同盟組んでることでしょう。



はやく、NEW YORKへ。

誰からの言葉?

逃亡した男

失踪した男

消滅した男


会えない絆を感じます

ちいさな大きなこと

昨日まで話していたひとが
もう話できなくなる
という現象がつらいんだね

ただそれだけのつらさなんだね






夕陽がつらい。




これは父の手
この手より10年長く使われていて
この手よりはるかに多くの手作業をしてきたロスGの手

いま、午後5時08分
夕陽の日本列島、、、、なんだか暖かげな
この季節、、、この夕陽、、、こののどかな鳥たちの声

ロスGが見える
ロスGに会いたい

あんなに我がまま言えるひとは
家族以外でいないでしょ

ロスGも私たちを家族と思っていた
ファミリーの額縁に入れたんですよ

その時、私は嫌だった

ロスGのいろんなひとつひとつの行動が嫌だった

だから
もらったものをすぐ捨てたりした

何度もくれる自分の研究本

一枚ずつ丁寧に手作りしたその冊子を

何度捨てたことだろう

ついこの間ももしかしたら最後の一冊かもしれないのに
捨ててしまった


いまは、全てが
愛おしい、、、、


ロスGがあんなに 私を
狂ったように 好きだと言って
愛してると言って

それを
はねられるたび
ごめんなさい
もうしません、、、

このくり返しで
何年もの間、、、

あなたのロサンゼルスの父より
そういう言葉に変えておくってきた

それでも私は
それが迷惑のように
不要物としてしまっていた

ごめんなさい。。。ごめんなさい、、。


どれだけあやまったらいいのだろう


びんさんだけでなく
ロスGにも
こんなに心残りを今世に残させてしまいました


私は、もぬけの空な感じになってます

母を失った時のショックとも似ている
泣いても泣いても
涙がでてくる

今日の夕陽があったかくって

ロスの夕陽に似ていて、、、

ゆったり歩いて、庭いじりしているロスGが浮かんできて

つらいです。


またか! 私との真実を天国で知るひと

これまで、誤解されながら死んでいったひとが、多くいる。
真実を知ってもらうのは、天国でしかない。

その一番最初の誤解のひとは、、、

中学の1年生の時の理科の先生だった。

「先生は信じているよ、きみがディスコなんかに行ってないことを」

当時、ディスコ=不良という称号だった。私とヨーコが上野でビラ配るボランティアをして(今思うとあれは宗教団体だったね)その打ち上げのようなものを踊るスペースに行かされた。もともと踊ることが好きだった私は、嬉しく踊った。のちに(高校生になって)本格的にディスコ通いすることになった源だったとおもう。その初めて行った場所はディスコではなくどこかの広いスペースでディスコのように音楽をかけて踊ったりはした。が、お酒は飲めないし、食事もたしかなかったと思う。その日のスタート時に、ヨーコは「beauty」私は「truth」という名前をもらったことを覚えている。彼女は一度は私の勤める会社に入社したが、その後、ホステスになり、今ではギンザに店を構えるママさんになったという。「beauty」が柱にありそうな人生だ。私はその日はじめて、「truth」という意味を知り、その名前をつけられたのが凄くうれしかった。真実☆

先生は、行ったと思っているのだ。けれど、言葉では、裏返った言い方をしている。そこには、きみは不良になんてならないよな。先生だけは、君の味方だ、信じてる先生を裏切らないでくれ。という戦略心を、13歳の私が察していた。

その時、私は、ディスコには行ってません。ただ踊っていただけです。
と事実を伝えているにもかかわらず、どこからか だれからか が 形を変えて噂になって、先生の耳へ届いたという ゴシップな話だった

そうしてそれからまもなく 先生は学校へ来なくなり、その後死んだと聞かされた。先生は私がディスコへ行ったと思ったまま死んでしまった、、、と
誤解されてもうそれを解く事のできない、間に合わなかったか!!!という
感を持った最初の経験であった


次に、それを感じたのは、、、
ライターとしても先輩の富士子さんだ
変わった人生図を持った私を富士子さんは3回ほど取材をした
その取材がきっかけで当初は彼女の次なる取材のお願いやら人物紹介やらを頼まれていた



おっと、用事が入った
続きはまたあとで。






気づくのがいつも遅い私

眠れなくて。。。やっと寝たのが午前5時半

目覚めた。。。のが午前9時

わかつた!

昨日までわからなかったロスGの意味不明な行動の意味が

今朝、わかった!

おまけに胃が痛む。。。

きっと夢を見ていたのだ

それも忘れさせるマジックをかけられて目覚めさせたのだろう

その夢で告げられたに違いない

だっていきなり目覚めて
その意味を知っていただですもの


12月のクルーズには一度は行くと言ったものの

体が弱って無理です。無理です。と言っていた

そうして

お土産をハワイに戻って郵送した

すると

そのまま、封も開けられず戻ってきた


これまでどんな小さなポストカードでも

届きました。ありがとう。と言っていたロスG

returnと黒いペンで書かれてあった

その文字がロスGのモノだったので

またテンションがローで、いりませんよ!だったのか

でも酷いよねぇ、中の手紙も読んでくれてないなんて、、、

でも、変なの。

この小さな変なのっていう気持ちをもっと深く思い込めば良かった。。。



これは、ロスGからのサインだったのだ

心配して、、、私に来て欲しかったのだ


この宛名にはいません、、、=自分の死んだあとのことを思っていたのだ


それは1月のことだった

まだ、、、私の結婚する前のこと

自由にどこへでも行ける状況だった日のこと


その後、電話で話をしたか、、、あまりよく記憶がない

最後に話をしたのは、、、いつだったか、、、

ハワイから電話したかどうか、、、

わからない、、ほど

ロスGのことを気にかけることをしてなかった

今朝、、、その意味をキャッチしても

すべては
too late。。。自分のわかってあげられなかったことに

悲鳴をあげてる



2010年5月16日日曜日

墓石


あなたの遺書の中には

なにが書かれているのでしょう

あなたの夢はきっと書かれていないのでしょう

それを読むことのできる息子への配慮ある文だけが並んでいることでしょう


墓石、用意してあげたいです

青空の下しか似合わないあなたのために


椛。

あなたの好きな紅葉に似てる

葉っぱが揺れていたよ

あなたに似合うね

揺れてるもみじ

思いながら

ひとりで少しお散歩

song for mr.A

いったりきたり きたりいったり


みんな死ぬんだよ
みんな
生まれたら
いつか
死ぬんだ

だから
だから

逃れることはできない
自然のことなんだ

生まれたとき
すごく嬉しいのに
死ぬのは
すごくつらい

でも
あの世ではもしかしたら逆なのかもしれない


死ぬと
おかえり〜と
微笑みで迎えられ

いってらっしゃい〜と
見送られ
この世に誕生する


そう思ったら
そう描いてみたら

なんでお前は泣いているんだ
死んでいった者たちは不思議がるかもしれないね








日常の習慣が終わる寂しさ














ロスGの悲報を聞き、一夜明けても
まだ後悔ばかりに包まれる

マイケルジャクソンの墓まいりと
ロスGに会いにいく
その選択を間違えたこと

もしも、 あの郊外のロスG宅へ行っていたら
2ヶ月近く一緒に生活をした
うちの父や娘も
その光景を懐かしがり
もしその時、ロスGの体調の劇的変化を感じたとしたら
うちの家族でなにか元気づけることもできただろう

新しくしたという部屋やバスルームの
最初で最後のお客さんになって
きれいになったね、とほめてあげたり喜んであげたら
きっとロスGも嬉しかったにちがいない

誰にも使われることのないまま
その家は他のひとのものになっていく

本当はずっと自分たちのものにしておいて
日本人の家族に貸すとかで残しておいてくれたらいいんだけど
でも息子の好きにしていい

一度、売りに出す話があって
不動産屋さんを家に呼んだことがある
その時
ロスGはそう言っていた


毎日、毎日、手をかけていた自慢の庭も
ロスGの水撒き姿はもう見られない

私たちは85歳を過ぎても
かなりの急斜面な階段をのぼり
てっぺんの桜の樹まで水をやりにいくロスGを
尊敬の眼差しでみていた

もうとっくに捨ててしまうだろう
というほどぼろぼろになった
ガーデン手袋を
私は新しく新調した
笑って受け取ったが
翌日、もらったことを忘れてしまったのか
また手にはぼろぼろの手袋をはめていた



忠犬ハチ公もそうだったけど
毎日くりかえされていた普通のことが
突然止まってしまうことって
寂しさをそそるんだね



2010年5月15日土曜日

見えない伝言の強力さ


仲良き事は最高なり

=仲悪き事は最低なり


ロスGが死去

という悪いできごとが起きていたとき

我が家族は大げんかをしていた

何か別のエネルギーがうごめいている感じがした

今日ばかりは抑えきれない何かが存在していた

3人とも暴れずにいられない何かが。。。



ビンさんが危篤状態だった前日、、、、

私の体が電気人間になり

じっと座っていられなくなったのを思い出した

1ヶ月程前からパソコンをはじめ、毎日掲示板に何か書いたりしていたのに

その日だけからっぽ。パソコンも開けない、ひとところに座ってられない

子宮からぐわんぐわんとマグマが暴れて、、、

周りの家族にも、私はすごく変になってる!こんなのはじめて!!と

叫んでいたっ


あとでビンさんの身にそういうことが起きていることを知り、

ビンさんが逢いたくて逢いたくて呼んでいたのか、それとも

ビンさんの事態を私が知り、全身で巨大な「気」を炸裂させて送ろうとしていたのかなとも思う


今回のロスGについても

家族3人とも縁がある

よってこのような警察を呼んで止めてもらうくらいの大騒動になったのだ

そうして、これまで父とは取っ組み合いになることもあったが、

「お前なんて首をやったら、イチコロだろ!」と口で言うだけで

決して私の首の傷へは手をあげたことがなかった父が

この日は、そこにめがけて来た。

それを見ていた娘も、ママが殺される的な感じを感じたらしく

これまでおじいちゃんには暴力をしたことなかったのに

この日は、殴りかかっていた

とにかくビデオをまわしていたかったほど

前代未聞なドラマな大混乱風景だった


買ったばかりの携帯電話、ファックス電話機、食器棚の食器たち、クローゼットの引き出し全壊、ふすま、扉、観葉植物まきちり、本棚の本、椅子、おまけに墨汁まで飛び散って床は真っ黒。




これもロスGが

あの日の痛みを思い出して。

あの頃の自分との思い出を忘れないで。

という小さなお願いだったのかも

それをキャッチした父が、私の首へ


父は私を殺そうなど思わないし、しないから

この日は、みんなスピリチュアルなエネルギーの中にいたんだと

今日、不思議が溶けた。




ps、父はその様子を写メールしていた




ビンさんがつないだ縁だから

ビンさんが、

「 離れても きみ 想うきもち 永久に変わらじ 」と

 いまつくったの
 それだけ じゃあね バイバイ

 と電話がきたことがある

 他の日にも

 死んでも忘れないでほしいよ。

 と言っていた

 忘れるどころか毎日毎瞬、びんさんだらけで

 周りからも かわいそうねをめいっぱい通り越して
 
 またかー。という感じになっていた

 とあるミュージシャンもびんさんとわたしの話が
 はじまってから5時間。そのストーリーを曲にするほど影響力があったよう
 シングルとアルバム、CDにして2曲リリース
 

 ガンになってしまい余命宣告を受けた女友達は
 びんさんがいなくなってからの私の様子をみていて
 「私、死ぬのが怖くなくなってきた。だってさっちゃんにびんさんこんなに思われて、、、  私のこともずっと思ってくれる?」


 ロスGともよくビンさんの話になり
 あなたにとってはビンさんしかいないんですねー

 と言われていた

 いま、ふたりは同じ世界にいる

 私のいるこの世という世界にはいない

 ロスGがびんさんに会ってほしいな

 でもどちらかというと、ビンさんがロスGを見つけて
 あの世の先輩だからね、、、最近の私の話なんかで盛り上がってほしいかもね

 
 ビンさんにはいっぱい優しくいっぱい楽しくいっぱい笑って笑って
 過ごした私

 ロスGにも同じようにしてあげたかったけど
 できなかった。というか しようとしなかった

 それはビンさんに悪いことだとおもったし、私はビンさんだけが特別なひとで
 いてほしいという気持ちがあったからだ


 でも、最初に
 ロスGに会った時、ビンさんが出会わせた!と思った

 出会った日がビンさんの死んだ年齢だった
 というのもあるが、それ以上に

 ステージに立ち、派手な日常と
 女性には困らないモテモテだった3人の妻を持ちそれぞれに子供を産ませたビンさんと

 勉強勉強、研究研究、まじめひとすじの中で
 お見合いで結婚をし子供が出来たあとから妻が病になりずっと看護と仕事に追われる日々
 妻以外の女性を知らないというロスG

 丸正反対の人生を
 送ってきたふたり

 びんさんが、遅咲きの春を

 僕のはじめての初恋のひとを
 僕のかわりになる素敵なひとを紹介するね

 そう言っているのを感じてならなかった


 けれど私は、、、幼い頃から
 近づいてくる男性をはねのけるようなきらいがあり
 
 ロスGにもどれくらいかわいそうな態度を取っただろう。。。

 

 ビンさんがつないだ縁だから、、よけいに
 つらい、、、憎いよ、、、

 私の取ったすべての行動が、、、


 もし、今、目の前で 私がこの気持ちであやまったら

 ロスGもビンさんも 同じことを言うだろう

 「楽しかったよ、ありがとう」と。


 

私だけが知っていること

もうひとつ発見、一番最近、

私はいつロスGに電話をしているか

と、ネットで調べてみたら

ハワイ時間で

4月25日の午前5時

ロス時間では午前8時

2回電話しているが出なかった

息子さんの話によると

最初に倒れたのが4月17日(日本ではビンさんの命日)

そのまま台所で1週間。。。

這って、ペプシを手にとって飲んだらしい

私の電話のベルが響いた時この状態で6日目

もっと衰弱しているだろうに

もしかしたら

私の電話のパワーで起き上がることができたんじゃないかな

自力で

救急車を呼んだのがその日だったそう

息子さんは27日に病院へ行って少し話しをできたそう

でも息子だとわからなくなっていて

2階の部屋(ロスGの家は平屋)に2人、不審者がいるから追い払うように

という話だとかいろんな幻覚っぽい話をしていたそう


それにしても

戦場で匍匐前進のスタイルで1週間、戦ってきた兵士のようだ


5月4日に一度、良くなったと病院を退院したらしい

その後、どうしてどうなってか機械に繋がれた植物人間状態になり、このままずっと機械で呼吸をさせておきますか?と尋ねられた息子さんはそのサポートシステムを止めてもらうように話しをしたらしい


では、いつに?と聞かれて

すぐには答えられなかったそうで、少し、待ってください

そんな次の日、心臓が停止したとの知らせを受けたそうだ


息子に、自分の死ぬ日を決めされるなんていう過酷なことを

したくなかったのだろう

一日延びればそれだけ金がかかる

そう言っているロスGの声が聞こえてくる


私の母も、倒れて2日で逝ってしまった

管に繋がれて生きていたくないわーといつも言っていた母だった

逝く時は、あっと言う間に、はいバイバーイ!がいいわ。

明るい母は、その自分の死に方に満足していることだろう



ロスGは、、、、死に間際、、、


たったひとつ夢が叶うなら、、、、

どんなことをいうだろう。。。

わたしだけが痛いほど知っている




このことを聞いても、

こみ上げた感情で覚えていない。




後悔の念、、、、の一日が終わる


ロスGは不死身だと思っていた
なのに

死んじゃったんだって

もう電話をしても出られないんだって

もう私のわがままをきいてあげることもできないんだって


どうしょう

どうしょう

まだまだ用事あったのに

これからやっと恩返ししょうと思っていたとこなのに


死んじゃったんだからしかたないじゃない

びんさんの声で聞こえてきた


今日は、思い出の数を数えるだけにして

ひとつひとつが宝物になっていくのがなんだかつらい

あの時こうしてあげていれば、、、

という項目があまりに多く思える相手

いろいろいじわるしちゃったから

だからつらくてたまらない

わたしをどうぞ許してね

わたしをずっと愛してね

ロスGのような強くて優しいひとは

いないよ ほんとに

また、わたしの中でひとつの人生の歴史が終わりを告げた



momoしかわからない私の感情

お悔やみ申し上げます。。。その言葉の芯からの意味がわからないから
使えないまま大人になった。。。言わなくてはいけない場面も多々あった。。。
けれどそれより心をこめた自分らしいお悔やみ言葉を。。。できたら無言で伝えたい。。。

定番のあけましておめでとうございます
は、すんなり言える
けれど、お悔やみもうしあげます。が言えない。

このまま年をとっていくのでしょうか。言えないまま。

そんなセリフを使わなくていけない場面に出会いたくない
そういう思いが強いから家内のかもしれない。

さて、

いま、うちの父が台所をきれいに掃除してくれた
あの時の残像がなくなった
あの日の戦いはもう終わったと語るように
掃除をしてくれた

ロスGのこと、、、こんな夜に言うのは
やめよう。。。
父は、ロスGともどれだけ大げんかしたことか
けれどふたりとも、また仲良しの関係に戻って
笑って話ができていた
大人の世界では珍しい関係だ

ロスGはある意味、実の息子たちの家族より
近しい感じの関係であったようにもおもう

だからゆえに、
愛情深いうちの父にロスGの死を伝えるのには
昼間にしよう

今夜は黙っていよう

うちの娘にはどうしよう、、、
ガランとした東京のマンションにひとり
やっぱり明日の朝にしょう


今夜は、私ひとりで喪にふせよう

明日、明日、ひとびとに告げよう。

私の知り合いでロスGと呼んで会ってみたいと言っていたひと

ふみこ、めぐみ、ひらつか軍団、

アメリカでもいろんなひとが会っている

けいすけ、ひさえ、ともこ、たたみ、ぴーたー、ぼろー、くりすたる、いるかヒーラー


だれが、わたしの悲しみをわかってくれるか、、、、桃だけだ

死んだから話せることもあるんだ

時間を巻き戻したいと思っても
過ぎた時は帰ってこない

死んでしまったひとと
どんなに強く会いたいと思っても

伝えたい言葉は空を舞うばかり


 Too Late !

 もうあきらめるしかないでしょう

どうしたって、生き返らないんだから


大事なひとが死ぬたび
この後悔の念がズンズン私に降り積もる


今朝の夢の中にもうひとつ、、、、

「くだらないんだよ」と
背の高い男性に言われる夢を見た

わたし、、、、いま、、、、人生を生きていて、、、、
自分が、、、、、なんだか、、、、くだらない、、、っていう生き方してるみたいに感じだした、、、、今日、、、ロスGの死を知ってから。。。


夢の中の男性の言葉は、神様になったロスGの言葉なのかもしれないと思った



ロスGは、
戦争に勝ったその強いアメリカという国を自分で確かめてみたかった

そのひとつの夢だけで
当時外国はとても遠い国だっただろう日本から
その国にやってきた

様々な大変なことが起きたらしい

いろんなひとに助けられたりもしたらしい

50年以上、アメリカという国に暮らしアメリカという地で死んでいった

けれどもし、墓に入るなら灰にして東京の先祖の墓に入りたい。

生まれた日本で眠りたいがメモに書かれていたそうだ


私も思う、
いろんな国で生活してきて
これからもいろんな国で暮らしていくとおもう
けれど
骨になったら
おばあちゃんやおかあさんと同じお墓がいいな。と

これを書いていてひらめいたのだけれど

骨にこだわりはないけれど

つい先週、母の命日にお墓参りにいった
受付4時までと書かれていたが
まだ日もある5時だったので
はるばる来たからお掃除させてもらえないか
お願いした

居留守を使われていたが、
別口からチャイムをならした、
海外から戻ってきて
とお願いすると
しぶしぶ、特別今回限りですよ
こんな遅くにお参りするのはご利益ありませんからねー!

驚くような言葉だった

それには、長年先祖代代の墓としてお世話になっている父も
お寺の住職が、あんな言葉はないよなー!と驚いていた


その時、思った

私が稼いで、いいお墓を手に入れよう
そこに父方のおじいちゃん、おばあちゃんの骨をわけてもらって
母方のおじいちゃん、おばあちゃんの骨もわけてもらって
私の生まれたルーツに囲まれて私もいつかそこに。


今日、葬儀が行われたという
現在はまだロスGの肉体は火葬前だそうだ
近かったらそのお姿に合掌したいが

なんでもっと早く来てくれなかったの、、、と
言われそうだし

私にはビンさんという最愛なるひとがあの世にいる
そのひとの死に顔もみなかったし、
きっとロスGも見てもらいたくないと思うと思った

だってもう動けなくなってるんだから

だってもういつでもどこでおお話することできるようになったんだから
飛行機代もったいない!

怒られそうだ

というわけで、
死人に口なしというが
死人は口がなくても、自由に会話ができるのだから

わたしが話したかったこと
お返事いりませんから
聞いてくださいね

近くにいても会えないまんま


リビングもバスルームも
全部きれいに直しましたから
いつでも来て泊まってってください

ロスGは弾んだ声でそう電話口で言った


本当は2009年の12月に
みんなでカリブ海にクルーズに行きましょう
という計画があった

そんなところ行ったことないから
行ってみようか。と好奇心と勢いある言葉を放ったロスG

その数日後の
申込みをする日に電話をすると
やっぱり体が弱っているからやめます、、、よ!と
弱々しい声


でも、
帰りにロスに寄ってくれるなら
フロリダからの航空券買いますから

私と父と娘の3人は
ロサンゼルス経由の便でハワイに戻った

到着する日にちも伝えてあった
フライトが夜着だったので
その日は、空港そばに泊まって
次の日にロスGの家に行く予定をしていた

フロリダを出発する飛行機の中から電話をかけた
すると
「来ないでください、、、もう体が弱ってダメだから、、、」
そういって、電話を切られた


翌日も心配だったので何度も電話をかけた
電話にでない
時間をおいて何度かけてもベルが鳴っているまま

アントニオという近所のひとの電話番号を知っているので
彼はロスGの家の鍵を持っている

心配をつたえるとすぐに見にいってくれるといった
そうして20分後電話をすると
庭で元気そうにしてましたよ
とのこと

安心した

会いたいなぁ
でも
あんな言い方をしていたけれど
タクシーで行ってしまえば
きっと喜んでくれるに違いない

そう思いながらも
予定していたマイケルジャクソンの墓まいりを優先させてしまった

。この夕陽の場所から30分くらい車を走らせたら
ロスGに会えたのに、、、

ひと目も見ないまま
クリスマスイブ、ハワイに戻った

戻ってから
お土産をいろいろ詰め込んで
郵送した

すると
封を開ける事もなく
読まれていない手紙もそのままに
返送で戻ってきた

文字はロスGの文字だった

。やっぱり。
みんなで会いにいくべきだった

その封をあけながらそう思った


ハワイからロス
日本より近い

この時ならまだ間に合った
会いにいけばよかった